店舗持ちをやめたスコーン専門店・東京スコーン店長の日々雑記
ひとつの、ふしめ(分館レギュラー出店終了について

東京スコーンは、週1に出店するお店として、爬虫類館分館(通称「分館」)でデビューしました。7月2日、レギュラー出店を終えました。通算1年11か月。2年目の節目(7/19)までがんばろうか、と思いましたが、決めたらすぐに動きたい、と思って。

ここでの出店は、いろんな思いがありました。東京スコーンがこの地で求められているかと問うと、結果から見るとそうでもなかったかな、というのが正直なところです。続けたいと思っても、それを下支えるニーズがあってこそ。一日店長というしくみは、道楽でやってるように見られがちですが、1回、1回は店長にとっては数少ない自己表現のチャンスでした。それをものにできなければ(その日を目指して通ってもらわなければ)、成果はないわけであり、モチベーションも下がり、となると長く続けることは難しくなります。それでも僕のケースではたくさんのお客さんに恵まれたと思います。これからは押上店舗を、よろしくおねがいします。

レギュラー出店は終了したものの、不定期での出店は継続したいと思っています。ただし、スコーンのニーズがはっきりと感じられたら出店する、という条件つきです。

分館には、東京スコーンの予約注文票を置かせてもらい、予定数量に達したら出店する、というプロセスを取ることにしました。詳細は決まり次第分館のページとこちらで改めてお知らせします。

いろいろとお世話になりました。

お店開設一周年
6月5日は、押上店舗開設一周年でした。
プレプレオープン一周年。
7月20日に本オープン一周年ってことですが、
まあ実際のオープンはこっちなわけで。
あっちはどうでもいいかも(笑

自分にとっては、なんと濃い一年だったか。

そんなところに一度でも訪れてくれた人たちに、感謝。

 ◆ ◆ ◆

実は一周年を機に、お店をやめようか、と思って悩んでいました。
このキャラですから、
あんまりお客さんも増えず。
お客さんよりも、いいスコーンつくりたい方を優先しちゃうから、「営業不定期」がルーズな生活してるように思われ。。
お客さんいてくれても、「隠れ家」な使い方をされるため(=ものすごく栄誉なんです)、誰にも紹介してもらえず(涙笑

売上の伸びがあんまりぴんとこなくて、ぎりぎりな毎日をこれからもやっていくのかいな、と展望ない子ちゃんになってしまいまして。

プライベートでもいろいろあり。
っていうか、それがネックでズガーンとなってた一年でもあり、何度みなさんを心配の淵に落としてしまったか。

スミマセン。

つぎの1年。
どうなんでしょう?そこまでがんばれるか、今はわかりません。っていうか、がんばることじゃない。お店は楽しむ場だと思うし。自分の表現のステージであると思うけれど、それが今の「押上店舗を持つ」っていうことが正解か、という問いは残したまま2年目に入って行こうかと思います。

どっちみち。
東京スコーンは、いろいろとかわっていくと思います。
変わっていかなければ、つまらないし。

2年目は、「またね」を云わない一期一会ですね。

そんなかんじのお店ですが、よろしくおねがいします。


陶器市期間中のヒジノワ出店、ありがとう


写真、これだけです。2日目の午後、遅め。ゆれてるしwww

写真撮るヒマもなかった。

初日は160人くらい来ていただいた「らしい」。
一時入店待ちが8組くらいあった「らしい」。
イートインで食べてもらって、気に入って持ち帰ってもらった組が結構あった「らしい」。

みんな「らしい」三昧。
どうしてかというと、自分のパート(紅茶とコーヒーを淹れる)がてんてこまいで、上を向く暇が本当になかったのです。
ヒジノワのロケーションは、陶器市のメイン会場から遠いものの、益子駅と会場を結ぶポイントにあるので、電車で陶器市に来たお客さんが多く立ち寄ってくれる場所でもありました。また、テントではなくて、屋根の下でゆっくりカフェできる場所でもあり、ほんとうにゆっくりしたい人たちが立ち寄ってくれたかな、と思っています。

これだけ多くの人に来ていただいたのは、はじめて。
てんてこまいぶりも、はじめてでした。
お待たせしてしまうなど不手際もあったかと思いますが、ご来店、ありがとうございました。

5日の東京スコーン単独出店、160人くらいの来客を支えてくれたのは、5人の「ボランティア」スタッフのみなさんでした。

 陶芸家・鈴木稔さん
 陶芸家・nicoricoあやちゃん
 台蔵茶舗・なおみさん
 そぼく・清子さん
 カシワギくん

超忙しい中で、ちゃんとお礼も言えず、できずで申し訳なかったです。
この5人が手伝ってくれなかったら、多くのお客さんの対応は、できなかったです。

単にスコーンを皿にのせて、飲み物もちゃちゃっと出してもってけばいい、というのではなくて、うちの品物はドリンクもスコーンも繊細なところで勝負してるので、それを引き出すには相応の環境がないといけないのですね。それをやらせていただく環境がしっかりあったので、陶器市はヒジノワまで出かけて行きました。なおみさんが呼んでくれて、それをささえるためにヘルプがなんとなく集まってくれて、ということがなければ、東京スコーンinヒジノワは実現しませんでした。

こう書いてると、ミラクルの連続だったと云えますね。

ヘルプも、お客さんにも、大感謝でした。

また、こういう機会をいただけるように、自分を磨いていかないとね。

ほんとうに、ありがとうー。

*5月6日の営業は、嵐の一日。メディアでも報道されたように、益子は竜巻の被害に見舞われました。ヒジノワでも短い時間でしたが激しい雨と風と、大粒のひょうが降ってきて、ちょっとした騒ぎになりました。そのときは「大変だったね」と安どしましたが、時間が経つにつれ町は大きな被害をこうむったことがわかってきて、ヒジノワメンバーの知り合いも被災していたことがわかりました。現在もボランティアががれきの処理などで対応に追われています。被災した方たちにはお見舞い申し上げます。



工事1周年

去年の今日、店舗工事にとりかかった。
正面のシャッターは、ガラスが入った今の客席の壁の部分。左端が、今のお店の入口です。

工事見積もりがあまりにも高くて、誰も助けてくれる人がいなくて(厳密にはいましたが孤独感強くて)、仕方なく「自分がやるしかない!」と決めて始めた工事。

最初の作業は、床に張り付いていたイケてないPタイルをはがすことでした。

写真のとおり、なーーーーんにもないところで。

専門知識がないから少しずつの作業。いちおう設計図あったけど、実際に現場でやってるとほとんどそんなの無視でやらないといけないなっていう状態だった。

この日から、毎日毎日。おっと、やめておこう。これ以上書くと、イケナイ方向に行きそうだ(って、行ってしまったから文を削除したんだけど)。

工事は、いまだおわらず。
っていうか、もう工事に興味がないからなかなかすすまない。あとは外溝の煉瓦を積むのと、キッチンの収納スペースをもうちょっと増やすこと。

来客数が増えたら、イートインスペースを増やす工事もできるけど、それは遠い先(?)のような気がするが、工事をする機会がそもそもあるか、わからんね。

でも、このあと、20人以上の人たちが手伝ってくれた。
そんな人達の協力がなかったら、お店は4か月でオープンできなかったともいえる。

工事ヘルプ、感謝、でした。

今年の門松(2011/12/27

ことしはちゃんと、水引を結ぶことができた。いつもぴんとこない結び目だったんだが、かなり満足。
って、初めて結んだんだった。
ことしの一字は「縁」
ことしの一字は「絆」だそうだ。自分にとってそれはなんだろう、って思ったが、たぶん「縁」がいちばんあてはまるかもしれない。創業に至るまでの縁。身を引き裂く別れ。お客さんたちとの、ものすごい数の出会い。落ち込んだ時、励ますように人がやってくる不思議さ。導かれるようにイベントにエントリー。あたらしい道筋を示してくれたさまざまな騒動。縁を通じて、自分は新しい何かを創造するきっかけを与えられ、生きる資格をもらってるって感じる。

っていっても、そのイベントが起こった瞬間は、縁を感じて感謝して、なんてこと考えてられない。

切れたくないのに、どうしようもないくらいにすれ違っていった縁。ことばのかけちがい、読み違いで誤解が生まれる。普段はそれを解決するために動くのに、別のイベントが横入りして来たり、それ自体をさぼったりで、溝が深くなっておしまい。

なんだか知らないのに、急につながっていく縁。ありえない成果がついてきて、ありえない人とのつながりがどんどん発生していく不思議さ。「何かに守られてる」っていうよりも、何かにせかされてるような感覚。

縁は、マイナスにも、プラスにも作用した。

ことしは、正直苦しかった。しかたなくはじめた「創業」が縁によってつながっていった。来年は、融資の返済がはじまるので、さらに苦しい日々を送るような気がして、年を越したい気分には、はっきりいってなっていない。

それでも、最後は。

つながっていった縁を、信じてみるしかないのかな、と思う。

どうしようもないくらいに、切れて。どうしようもないくらいにつながっていく恐ろしいほどのパワー。縁は、来年、どんなものを自分の前に持ってくるのかって思う。それでも何かいいものを引き寄せたいから、自分にできる範囲で、
やれるだけのことをやってみようかな、っておもう。

縁を通じて、東京スコーンと出会ったみなさんへ。

出会ってくれて、ありがとう。
たぶん、この出会いは、砂浜でダイヤモンドの粒ひとつをひろうくらいの確率で起こったイベントだったと思う。この縁が次にどうなっていくのかは、それぞれの課題にゆだねるとして、出会えたことをこの大晦日と元旦にかけて祝いたい。

ありがとう。

いろいろあった、そのあとで
丸井の出店。やっぱりちょっとショックは大きい。
いろいろ書こうとおもって何度もトライしたが、だめだった。

翌日。丸井で出そうと思ってたスコーン120個を、くそったれセールとして押上で売った。
その夜、分館でノックの帽子や主催のライブがあって。
そこに店出しませんか、ってノックが誘ってくれた。
くそったれセールをオープン後2時間で完売させて、夕方用の仕込みをしている間にお客さんが入ってきてあたふたして。なんとかライブに間に合って、バンドの演奏を横目で見ながら、コーヒー淹れて、紅茶つくって、スコーン焼いて。お客さんはライブでノリノリ。しかも店を埋め尽くす人数。
たくさんの人たちがいる空間にいて、
「タカフミさん、楽しそうだね」と言われ。
「そうだなあ」って思った。

その日の収支は自分でもうれしい内容に終わって大満足。
それ以上にたくさんの人たちと楽しくすごせたことの方がうれしかった。
さらに。
この日のバンド「ショピン」は、ともだちうさぎとかもやってた人たちのバンドでした。

そう、「ぽぽぽぽぽーーん」のね。

ぽぽぽぽであることを知らなくても、このバンドは楽しかった。ひさしぶりにいいバンドだ、と思えた人たちだった。

お客さんが帰った後、ノックとツキモバザールのもっちゃんと、野々歩さん、馨さん、そのふたりの後輩のお坊さん小宮くんとおつかれさま会(=飲み会)して深夜まで盛り上がった。

結構、宝ものな一日だったかもしれない。

ライブ出演者のアイスクリームマン、ショピン、フードスタッフ&ノックと撮った記念写真。


このめぐりあわせも、たくさんの縁のつながりの果てに成り立ってた。

縁をつないでくれた人たちに、ありがとう。
ぷちコラム
なんか、いっぱいになっちゃったなー

◆別れに、泣いた。

◆ゆきちゃんの改装住居お披露目会。となりのとなりのそのまたとなりあたりに座ってた人が、結構なレシピ本の有名人だったりしたらしいのだが、「ふうん」で流してしまった。スミマセン、世間知らずで。

◆あんまり、同じ系統のワールドの人に興味がないのです。人がどんなものを作ってるかとか、あんまり気にしない。大事なことは、自分がどんな表現をしたいか、なので。

◆わからなければ、話し合う、確かめ合う、語り合う。いいモノを作っていこうとするならば、必要だと思うんだけど、どうもそれができない。ことばのやりとりの途中で勘違いが生まれたり。いろんな思いやとりくみを、そして「しょうがない」のひとことで片づけなければならなくなる。その空しさはことばになんて、できない。

◆自分がある意味オピニオンリーダーであることを自覚していない作家さんが多い気がする。

◆15年以上前か。眠れなくて眠りたくて毎晩バーボンをあおって、朝は目覚めるためにコーヒーをがぶ飲みする毎日だった。また、同じようなことをやってる。でも、今はコーヒーをがぶのみしたくないな。もったいなさすぎる。

◆あるカップのテスト結果を放棄することになった。結果はお蔵入りにする。

◆解ってくれることのほうが、奇跡。
 だから解ってくれないことには、慣れっこだ。
 そう言えるようになったのは、
 わかってもらったという体験があるからだ。
 うすっぺらい部分の理解ではなくて、
 深くて大事な、心の琴線のひとつをちゃんとわかってくれた、
 と感じることができた記憶。
 その奇跡を人生の中で知ることができた自分は、幸せかも。
 でもかなうならば、
 これからもそういう奇跡が自分の近くで起こり続けてほしい。
 わかってくれてると感じることが、
 どれだけ自分に安らぎと自信を与えるかと思うと。

◆自分を分かってもらうために、何か表現を求めた。そのひとつがスコーンだ。

◆お店を持ちたくて目をうるうるさせてる人とは、ちがうのです。

◆創業の経緯が違うので、そのずれが店舗運営に出てしまう。しかしそのずれが許せない人がいるようで、しかも耳に入ってくるからむかつく。そして、がっかりしてしまう。そういう単純化と二元性的な見方、いいかげんにしてくれないかね、と。

◆ミスチルも言ってるではないか。「白と黒の間にある無限の色が」なんたらかんたらと。

◆自分に興味のない人に誠意を見せてもなんも感じてもらえん。過剰包装みたいなものだから、そういうことに時間とかお金を費やさないようにしようと思う。ただし、自分なりに義理は果たす。それは他人がどうこうではなくて、自分のありようを、自分に確認するための作業だから。

◆オープンして、5分で完売ってどういうことよ、って思った。とりあえず確保、っていうカンジで買っていかれるのって、ほんとうにほしい器を手に取っているとは思えない。こういうのって、「人気」というのだろうか

◆10月からたてつづけに映画を見ている。近くのレンタルやが50円とか、80円とかで貸してくれるから。経営的な目で見てしまうと、「大丈夫?」と思ってしまうけれど、自分目線で見れば娯楽を与えてくれるありがたい存在。

◆休みの予定、週2回だったが、今は週1回。地域の浸透を狙うためには、本当は休みなしにしたいけど、ひとり経営ではそれは無理。週1でも大変。週1の休みのときには、仕入をしているのがほとんど。あとは棚の工事。実際には休みなんて、ないのです。

◆そして、年末になる。年が明けたら、融資の返済がはじまる。それまでに経営上どれだけ自信を持つことができるか、という大事な半年の最後の月が12月になる。自分の場合、その半年のうちの2か月は、工事に削られてしまった。4か月もひとり工事をしたことは、大いなる後悔でもあるが、その当時の選択肢としてはそれしかなかった。身一つでこの地に来て、助けてくれる人なんていないのが当然の環境だったし。だから、20人以上も工事を助けてくれて、融資の資料作りにアドバイスをくれてってなったのは、ありがたいなんて一言で済ませられないほど感謝してる。

for hisako
tokyoscone's co-founder hisako muto past away in Nov.17th, 2011.
i showed up her funeral on today to say "see you next age."

スクールの講師をやってたとき、その生徒さんだった。
押上店舗の工事を、その生徒仲間と一緒にきて手伝ってくれた。
病だったのは、知っていた。
だからこそ、普通に扱った。
工事がいまだに完成しないのは、何かにつけて手伝ってもらおうって思ってたから。
何か目標があれば、命が長引くんじゃないかって思ってた。
ばかみたい。

塗ってくれたところを見て。
斎場でヘルプ仲間と再会して、店に帰ってきて、「書いて残しておこう」っていろいろ思い出してたら、泣いちゃった。
今回のは効いたわ。

店を立ち上げるとき、
自分が困ってる時、
助けに来てくれた恩人だったからね。

あばら骨折ったときも、いいお医者さん紹介してもらったしなあ。

別れ。

涙は一番似合わない。

それだけ生きてるなあって思わせる毎日を送ってた人には、笑顔で送ってやらなきゃね。
笑顔で「おつとめごくろうさま」って云えて、よかった。
しかし、帰ってきたら、涙が出た。しまった。やられたぜ。

別れはほんの一瞬さ。

ありがとう。
あなたのおかげで、東京スコーンはできました。

だから、いっぱいお客さん連れてきてください(笑

また会おう。



粋な別れをしよーぜ


 命に終わりがある
 恋にも終わりがくる

 秋には枯葉が小枝と別れ
 夕べには太陽が空と別れる

 誰も涙なんか
 流しはしない

 泣かないで

 泣かないで

 粋な別れをしよーぜ

歌を聴くたびに、なぜかこの曲だった。アコギを片手に時におちゃらけながら、ときに目を閉じて渋い面を見せながら。ほかにも歌ってたと思うけど、自分が聴いたのは、この曲だけだった。

そのころの姿は知らないが、
分館がオープンしたての頃、夜の部で一日店長も、ちょっとやってた。

ショートカットの髪の毛を金髪に染めて逆立てて、時にバイクにまたがり、時にサンダル・ジャージで商店街を流す姿が、粋だった。

分館の向かいにあるバー・ホクレアのマスターろくさんが、昨日亡くなった。
63歳。3年間の闘病生活の末の最期だった。

ろくさんと63。なんというごろ合わせ。
こういうところが、ろくさんらしい「粋」なんだ、って、勝手に思うことにした。

分館は、世代を超えてたくさんの人たちが集い、旅立ち、通り過ぎていく。
しかし次元をまたいで人間交差点をしたのは、ろくさんが初めてかもしれない。
それも粋なことだと、勝手に思ってる。

ろくさんはみんなに何を残したのか。
考えてもいいし、感じなくてもいい。
自分は、縁遠い存在だったと思うけど、何か感じるものがあった。

おつとめ、ごくろうさま。

また会おう。