店舗持ちをやめたスコーン専門店・東京スコーン店長の日々雑記
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今日、気づかされたこと(1)

 カフェ系の大物が来てどうたらこうたらで、今日はわざわざ時間を作って分館で人と会いました。モニター会が連続して、やっと終わったー、燃え尽きたー、やすみたーいな気分だったのですが、何やら大事なことになるのなら、と思ってテンションあげて会ったのですが、とくになかったです。地元のエコなことをしてる会社の社長さんの案内で、押上・曳舟を見てまわってた途上の立ち寄りだったのですが、古民家や下町風情が嫌いなのにそういうのを見てまわる奇妙な人たちでした。

僕の話を聞きに来る、ということだったので、お会いしてからまじめに話していましたが、「金にならんだろう」「やめたほうがいいよ」とアドバイスをしだし、「どうせ自己表現するだけだろ」みたいなことを言われ、苦笑い。挙句の果てに、その人の太鼓持ちから「ふだんはどんな職業をされてるのですか?」とか、「年齢はいくつなんですか?」とか、カフェのことやスコーンのことなどとはどうでもいいことをバシバシ聞かれてとっても息苦しかったです。

スコーンの話しろよ、ったくよう。

この大物に見えた小物を思い出していると、ひとつの名言を思い出します。

「落としたければ、いばらせておけばよい」

大きな街で、きれいな家具とねーちゃんと什器をそろえて、みっどせんちゅりー気取ったカフェをプロデュースしているようですが、僕にとってはお金をお客さんからうばうだけのカフェにしか見えず、常に時代を気にしながら(=店舗の内装を2,3年で変えないとやっていけねえような)大変ねえ、と思います。どんなにキレイな空間を作っても、そこで出される紅茶が紙パックだったり、誰でも作れるハンバーガーを1500円とかで出してくるお店、何度も通いますか?「オシャレだから」と、根っこの張らないふわふわした感情に頼る空間は、本当に「空(からっぽの)」「(すき)間」でしかないように感じます。

僕はオシャレなカフェを作りたいです。しかし、お金しか落ちていかないカフェは、作りたくない。中身のない人たちが、中身の無いものを食べて飲んで、集まって消えていき、カフェの存在なんてなんともかんとも思ってないカフェを一生懸命作りたいなんて、思わないし。

今日はこの小物ご一行様と会うことが出来て、僕の中での「カフェ感」というものが自然と固まったような気がしました。

カフェは人が集まらないと始まりません。上っ面・見てくれだけ整えて人を「金」としか見れないやり方は、早晩破綻すると思います。ってもう、時代的に遅れてるし、このファサード。

時間を割いて待ってた人にお礼のメール一本もよこせない人たちに、幸あれ。