店舗持ちをやめたスコーン専門店・東京スコーン店長の日々雑記
出発点であること
東京スコーンというブランド、そしてお店は、「出発する」というところから始まったと言える。あたらしい人生を送ろうと思ったとき、その当時自分自身の手で創れるものがスコーンだった。スコーンづくりを通じて自分とはどんなものなのか。そう、スコーンづくりは単に自分への投影程度で始めたことだった。

それがどういうわけか、お店を持つことになって、すでに4年。

飲食店経営。菓子製造業経営。とくに経験もなかったのをカンで乗り越えてきた。

しかし「出発する」という考え方は、お店づくりすべてに、無意識に一貫して行ってたことだった。

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そもそも東京スコーンは、スコーンの最終形ではなく、出発点としての内容だ。高級品でもなければ特化したものでもない。「最低限、このくらいの程度のものを作ったらどうだ」という、すべての基準点を示すものであろうと思っている。

紅茶のセレクト方針も、おいしい紅茶とはどんなものなのかを、ファーストインプレッションでしっかり印象付けることに重きを置いている。ひとつの香りがしっかりとわかりやすいもの。苦味や渋味など人が基本的に「イヤだな」と感じる味のないクリアさであること。そしてスコーンの味を阻害しないこと(雑味はすべての味の阻害要因なので、クリアさを求めることはほかの食べ物との好バランスを生むのは言うまでもないのだが)。ということで、うちでは紅茶の最高ランクものなんてのはないし、置く気などさらさらない。

お店も自分の手で仕方なく作ったことではあったが、何もないところから出発するという点ではまさにフルハンドメイドの思想はぴったりだったと思う。とってもいやだったけれど。

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イベントも「出発する」という考え方が、常についていたように思う。

たとえばコーヒーのイベントは、コーヒー好きたちが何を出発点としてそれを楽しむのがいいのか、ということを探そうという構成を目指している。わかってるようでわかってないテーマだから、特定の人の思想に傾倒していくのではなく、かかわる人すべてに自分の持ち味を自由に表現してもらって、そこにある共通した普遍性を出発点として見出して欲しい、という思いを込めている。だからみんなで淹れ、飲み、テストし、結果を共有している。

勝手にワークショップは、講師ありきのイベントではない。仲間内でなにかをやりたいとき、たとえば新しい刺繍の勉強会や、食べてみたいとおもったものの食べ比べ会に利用してくれる人がいる。どこかの作家を講師に招くようなものは、むしろ少ない(本当は作家さんが主催する会の場になれたら、と思ったのだが、むしろ皆無である)。

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経営としての出発点は、なんだろうか。いろいろな「目論見違い」を確認するには、「都会のフリした過疎地」というロケーションは、絶好の場所での営業だったのかもしれない(笑)。ゆえに経営は最終段階を迎えていて、ことし中にひと段落をつけようと思い、動いている。

東京スコーンにくるお客さんたちも、出発点に立つ人が、ほんとうにたくさんいらっしゃった。出産、結婚、転職、転勤。なんらかの転機が訪れる人たちが多かった。そしていい常連さんの多くが、笑顔とともにお店を離れていった(涙)。

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自分が「やってみよう」か「やるしかない」と始めたブランドでお店がスタートした。それが、人が「やってみよう」「楽しんでみよう」と思うことを気軽にやってみる場につながっていった。そういうつもりはなかったが、スコーン作りの原点は「やってみよう」というような思いから始まっていて、それは店の「運営」の基本方針にいつのまにかなっていった。

人は無目的的に動いているようで、一貫して何かを求めて毎日をそれぞれが生き継いで行っている。そんな何かをつまみあげ、「出発点」としてプッシュする場になれたら、カフェを訪れる人たちももう少し楽しみというものが増えるのではないか、と哲学的なことを思ってしまう、きょうこの頃。

でも、出発点として、カフェのようなお店が貢献するならば、おもしろいのではないか、と最近は思う。
ちょっと仲良くなった友達の家に行くようなもの
東京スコーンとのつきあい方。

いや、お店との付き合い方、だろうか。

「ちょっと仲良くなりかけた友達の家に遊びに行く」

東京スコーンを利用するときに、
こんなふうに思っていただければ、
ほとんどのことがみんなにとってしっくりくるのかな、
と思います。

ちょっと仲良くなりかけの友達に、
あなたはどんな態度で接しますか?

これは東京スコーンに対してだけではなく、
ほかのカフェなど、
とくに個人でお店をしているところすべてに「使える」感覚なんじゃないかな。

画一的なものではない何かを持ってる、
提供しているところに行くのは、
自分の中の小さなワクワクを満たす楽しみに満ちているはず。
知らない人のお店に足を踏み入れる勇気も必要だけど、
そのとき、
「ちょっと仲良くなりかけた友達の家に遊びに行く」
という感覚でお店を訪れてみたら、どうなんだろう。

「その友達」の表情は、何かの拍子にかわっていくでしょう。
この見方も、もしかしたらどのくらいもつかは、わからない。

だけど、いま。今は、
「ちょっと仲良くなりかけた友達の家に遊びに行く」
がぴったりだと思っています。

東京スコーンの大方針。


取材コード
いまさらですが、以下の条件をすべて満たしてください。ただし、満たしていただいたからといって取材に100%応じられるものでもありません。何らかのタイミングが悪かったり、こちらの意図しない方向性があったりということもありえます。その点ご了承いただいたうえで、お問い合わせいただければ幸いです。

1.東京スコーンのスコーンを食べて気に入ってること

  あたりまえですが「紹介したい!」と思える何か
  感動があったからの紹介だと思います。
  それがちゃんとわかるように
  説明をしてくださいね。
  こちらもせっかくの営業機会を
  つぶして対応するのです。
  何も調べず、知らず、ただ「取材させてくれ」なんて、
  許さないですよ。ばかにするなってかんじです。

2.記事の内容は、どういったものかを
  ちゃんと事前に文書化して説明すること。
 1)企画名
    当たり前ですが、プランがあるから記事になるわけで。
 2)紹介する際のコンセプト・方法
    「写真2点と200字程度で説明したい」というような
    「料理写真を数枚撮らせてほしい」というような
 3)掲載・放送予定日
    「そのうち」というのは困ります。こっちも紹介
    されることをお客さんに伝えたいのです

3.どこのだれが取材に来るのですか?
 0)名刺
    当たり前というか、自分たちのビジネスをするなら
    担当者は名刺を置いて行ってください。
 1)企画責任者氏名 編集責任者氏名
    こちらから問い合わせするときに誰が担当か
    はっきりさせてください。
 2)連絡先・問い合わせ先を明らかにする
    A)現場担当者の携帯電話番号・メールアドレス
    B)編集責任者の住所・電話番号・メールアドレス
 3)取材希望日
    最低2つはほしいところです

4.取材時のあたりまえのことについて
 1)撮影に使われた料理はすべて有料です
   提供は一切ありません。
   ひとつひとつ手作りしてますので、無駄が出ることは、
   いやなのです。
   無料で使わせてくれ、みたいなことをおねだりする取材は、おことわりします。また、そういったやりとりがあったことは、しょうがなくブログにて報告することにしていますので、あらかじめご了承ください。

 2)撮影のために備品を移動した場合、
   元に戻してください。

 3)っていうか、備品の移動や撮影箇所については
   事前に相談していただくことが
   あたりまえのことだと思います。

東京スコーンは自己の情報を自己がコントロールする権利を有していることから、自己の承諾なしに、氏名・住所・職業・顔写真等自己のプライバシーに属する報道をされない権利を有します。また他者に誤認を生じるような報道をされない権利を有します。

しょうがなく、チラシコード
チラシ置いてほしい人は、これをまず見てくださいね。持ってきたとき、この記事を見たか聞きます。すべて条件に合致してれば、必要なところはプレゼンしていただきます。

1.自己紹介をしようぜ
 どこの何者なのか。
 1)団体なら団体名。
 2)代表者氏名。チラシ持ってきた人の氏名
 *要は、個人の連絡先示した名刺出せってことです。

2.おいてもらいたいチラシの趣旨説明
 1)5W1H(what,where,when,why,whos&how)
 2)期間が過ぎたら回収や報告しにくるのか?
 *要はわかってもらいたいなら
  それなりに準備しろってことです。
 
3.東京スコーンのブランドイメージとその企画がどう一致するのか
  または、戦略性とどう一致するのか。
  very important。これが説明できなければ置きません。

4.まちづくり系なら、その経済効果
  資料を示しましょう。
  このイベントをやることによって、
  どういった効果を求め(数値示してください)、
  そしてそれはうちにとって
  どういったメリットを与えるのか?
  ま、メリットなんてうちはどうでもいいんですけど。

無礼者が多いので、いちおうルール化。

会社や組織で働いてる人が見たら、
笑っちゃうでしょ?


お願いしっぱなし。
イベント終わったらお礼も言いに来ない。
自分のことばかりで東京スコーンの宣伝もショップカードも自ら持っていこうなんて言い出さない。
置くのはかまわないけど、企画の説明もちゃんとできないし礼儀わきまえない同じ穴のムジナとうちが思われてしまうのは、ちといやなので、ハードル設けます。

親しいからといって、チラシを置くということは、ありません。なれ合いとビジネスは違います。

守破離
守り
破り
離れる

仏教だか、神道だかの、道を進むものの王道のようなキーワードらしく。誰かが云ってたのを覚えているが、そんなことはどうでもよくて。

手本を習い、
自分のやり方を加味して
自分自身のモノとして独り立ちする

守破離の神髄とはそういうことらしい。
人は時間と肉体と3次元と云う制限の中で何かを学ぶことを使命として、それぞれの人生の道を歩んでいく。その道の上で、人は大なり小なりで守破離を繰り返していく。
人が何か人生の中で大きな選択をしたとき、この守破離をちゃんとやれるかどうかで、伸びていくかだめなままかが決まってくる、とも感じてる。もちろん、伸びよう、としていることが前提。人生の休息をその目的にしている人は、守破離っても対してかわらん人生なのは、しょうがないんだが。

作家と呼ばれる人たちの作品に、
守破離が感じられるか。


僕は、単に気に入っただけではなくて、作品の裏に守破離という躍動感が感じられるかっていうのを大事にしたいと思っている。要は、何かチャレンジし続けているのかってことね。
僕みたいな人が、んなこと言えるかどうかはわからんし、そもそもっていうのはあるけど。でも、そんなこと言ってたら話がはじまらない。
しかし、スコーンは、負けないけどね。守破離しています。

別のことばに置き換えてみて。

伝統と革新

こういう要素を持ってがんばってる作家さんに、発表の場を提供できたらなって思う。
スコーンやではありますが、カフェスペースがあって、人が集まっても違和感ない空間を持っているので。

そういう人と巡り合えるように。
そういう人と一緒にこれから何かやれるように。

そう願う。
僕の名前は、東京スコーンさんではありません。

最近、気になってきたこと。
人のことを「東京スコーンさん」と呼ぶこと。

僕にはちゃんと人間の名前があります。

ですので、僕に用事があるときは、
ちゃんと人間の名前を呼んでください。

スコーンに用事があるときは、
東京スコーンさんでもいいです。
けど、返事するか、わかりませんよ(笑。

まずいと何か、足したくなる

東京スコーンのモニター会で、共通して見られた現象は、その味が気に入らないと、何かをつけたくなる、足したくなるということでした。味が足らないからジャムを塗りたくなる、苦いから砂糖を入れたくなる、というようなことです。意外にも、おいしいからさらに●●を加えてみたい、というような意見での何かをつけたしたくなる、という行動は皆無でした。

自分の例で、こういった行動を取るときには、どんなときなのか、改めて考えてみました。
やっぱり、味に満足しないときに、ソースをつけたくなったり、しょうゆを足したくなったりしています。ま、たまにおいしいから更に●●を加えてみたい、ということもありますが、圧倒的に「味に不満」ゆえの行動が多いぞ、と。

となると、一般的に言われているスコーンの楽しみ方である、ジャムやクロテッドクリームをつけて食べる、という食べ方は、スコーン単体の味に不満足である、ということを公言しているようなものではないか、と思います。ま、実際まずいのばっかりなんですけれどね。おっと暴言。いや箴言です(キッパリ)。

スコーン専門店で、ジャムやクリームをつけて食べることを前提にスコーンを作ってるとしたら、それは無意識的にまずいスコーンつくってまーすっていうようなものなのかもしれません。

スコーンを食べるとき、「何かをつけて」という刷り込みを一度外してそれを食べてみてください。拒否反応が少しでも出たら、あなたは潜在意識でそのスコーンを「まずい」と言ってるのですよ。

紅茶やコーヒーも同じです。「何かを入れて」という刷り込みを一度外して、紅茶やコーヒーを飲んでみてください。香りや苦味・酸味を楽しめないとしたら、それはあなたが「まずい」と言ってるのですよ。

せっかくお金を出して食べる・飲むなら、おいしいものを正直に求めてみてください。

何かを足さなきゃうまいと感じないものは少ないです。何かをごまかしたいから足すことの方が多いはず。来年は、それをやめませんか?少なくとも、スコーンを食べることに対しては、やめてほしいものです。

今日、気づかされたこと(1)

 カフェ系の大物が来てどうたらこうたらで、今日はわざわざ時間を作って分館で人と会いました。モニター会が連続して、やっと終わったー、燃え尽きたー、やすみたーいな気分だったのですが、何やら大事なことになるのなら、と思ってテンションあげて会ったのですが、とくになかったです。地元のエコなことをしてる会社の社長さんの案内で、押上・曳舟を見てまわってた途上の立ち寄りだったのですが、古民家や下町風情が嫌いなのにそういうのを見てまわる奇妙な人たちでした。

僕の話を聞きに来る、ということだったので、お会いしてからまじめに話していましたが、「金にならんだろう」「やめたほうがいいよ」とアドバイスをしだし、「どうせ自己表現するだけだろ」みたいなことを言われ、苦笑い。挙句の果てに、その人の太鼓持ちから「ふだんはどんな職業をされてるのですか?」とか、「年齢はいくつなんですか?」とか、カフェのことやスコーンのことなどとはどうでもいいことをバシバシ聞かれてとっても息苦しかったです。

スコーンの話しろよ、ったくよう。

この大物に見えた小物を思い出していると、ひとつの名言を思い出します。

「落としたければ、いばらせておけばよい」

大きな街で、きれいな家具とねーちゃんと什器をそろえて、みっどせんちゅりー気取ったカフェをプロデュースしているようですが、僕にとってはお金をお客さんからうばうだけのカフェにしか見えず、常に時代を気にしながら(=店舗の内装を2,3年で変えないとやっていけねえような)大変ねえ、と思います。どんなにキレイな空間を作っても、そこで出される紅茶が紙パックだったり、誰でも作れるハンバーガーを1500円とかで出してくるお店、何度も通いますか?「オシャレだから」と、根っこの張らないふわふわした感情に頼る空間は、本当に「空(からっぽの)」「(すき)間」でしかないように感じます。

僕はオシャレなカフェを作りたいです。しかし、お金しか落ちていかないカフェは、作りたくない。中身のない人たちが、中身の無いものを食べて飲んで、集まって消えていき、カフェの存在なんてなんともかんとも思ってないカフェを一生懸命作りたいなんて、思わないし。

今日はこの小物ご一行様と会うことが出来て、僕の中での「カフェ感」というものが自然と固まったような気がしました。

カフェは人が集まらないと始まりません。上っ面・見てくれだけ整えて人を「金」としか見れないやり方は、早晩破綻すると思います。ってもう、時代的に遅れてるし、このファサード。

時間を割いて待ってた人にお礼のメール一本もよこせない人たちに、幸あれ。

 

東京スコーンのビジョン(2010/6/6)

東京スコーンのビジョン、
いろいろ考えたんですが、やめました。
当たり障りのない、しかし共感を得てもらういい子ちゃんな文章を、いくつもいくつも考えました。しかし、イヤだ。なんでうそついてまでいい子ちゃんしなきゃならんのじゃ。

スコーンなんて、素人です。わけわかりません。生涯で数回食ったくらいです。その理由はぼそぼそしてまずいから。でも、鎌倉ですごくおいしいスコーンに出会ってから、おいしいスコーンって、もしかしたら他にたくさんあるのかな、とスコーンめぐりの旅を始めました。

しかし、ない。
本当に、ない。
100種類は食った。でも、ない。
なさすぎる。

売られているものなのに、テキトーに作られてるものも、たくさんあった。プロだろ、ちゃんと作れよ。そんな思いが失望に変わり、そして自分で「作ってみようか」になった。

おいしいスコーンが食べたい。人に頼ってみても、だめだった。
だから自分で作った。

身内から「おいしい!」と声が返ってきた。
だからなじみの店に持っていってみた。そこでも「おいしい!」って言われた。

研究をひと段落させて、自分で作ったスコーンを、これから自宅で楽しもうと思った。まずいスコーンを買って嫌な思いをするよりも、自分で作ったほうがリーズナブルだし。

あるお店が、一日店長制度で店長を募集していた。扱う品は何でもヨシ。半分冗談でマスターに「スコーンを出したらどうだろう?」と聞いてみた。「へえ、おもしろいですねえ」。「じゃあ、やってみようかな」。東京スコーンは、そこから始まった。

東京スコーンは、どたばたしながら始まった。

スコーンやの名前。東京スコーン。

「ニッポンで、東京で食うスコーンは、これだ!!!」
言い切ってしまえ。
わかりやすいし。
覚えやすいし。

本家のイギリス?知るか、そんなもの。
東京スコーンは、ウチが本家だ。東京のスコーンなんだから。

紅茶のおまけ?冗談じゃない。
紅茶の味は、ウチにあわせろ。

パンのついで?バカにするな。
こんなとんでもなく難しいレシピが[ついで]なわけないだろ。

東京スコーンは、そんなかんじ。
そんなスコーンを作っていく。

わからん?じゃ、食べに来てください。

しかし、お店で出すスコーンは、最終形ではありません。
まだまだ不満足。粉1グラム、温度1度ずつ変えて、おいしいスコーンの研究はやめません。
だから、もしかしたら、今週のスコーンと、来月のスコーンは変わってるかもしれません。

粉や味付け、人の好み。時代の変化とともに、スコーンも味も変わっていくと思います。いつも同じ味なんて、ロボットの世界のこと。素材のよさを引き出して、みんなの好みを反映させていくならば、味は常に普遍で、進化が前提のはず。一期一会のスコーン、それが、東京スコーンです。