店舗持ちをやめたスコーン専門店・東京スコーン店長の日々雑記
みんながやったらどうなるんだろうね

みんなで、
自分ちで、
それぞれが工夫こらして
やるようになったら、
どうなるんだろうね。

冬の、空気が澄んで、きれいな夜に、
こんなことやったら、
どうなるんだろうね。

いつも、思うことです。

まちづくりは、自分が何か新しいことをはじめたり、改めたり、視点を変えて手を動かしたりすることからでしか、はじまらないと思う。

東京カッピング会(2011/8/28)
スペシャルティーコーヒーの酸の特徴をオシャレに(?)テイストするカッピング会を昨日やりました。参加者増加!

にゃんぴーさん(「うちカフェ」の人気ブロガー)
Totoさん(浅草のコーヒーハンター)
Tokyotravelogueさん(東東京のカフェハンター・初参加!)
ナツキマスター・分館珈琲の樹

今回は4銘柄。農場は参加者特権。

・グアテマラ
・マラウイ
・ケニア
・ブラジル

初参加でカッピング初心者のTokyotravelogueさんには、最初の20分すする練習。まあまあいけるようになったのを確認してカッピング突入。今回、なぜかとんでもなくムズカシイ銘柄ばかりに(汗)。

しかし相変わらずおもしろ表現連発。

ワキ汗。。それは。。あ、感じる
カリソン。。。なんですか、それ?
太陽じゃないプラム。。?
子供の風邪薬で飲む方のやつ。ピンク色してるやつ。。

こういう表現が連発されると、「コーヒーって(汗)」になりそうなので、1銘柄ほど、カッピングノートを公開しますかね。

粉の状態は芳醇。赤ワインの要素。ブレーク前後でナッツ。ナチュラル仕上げのような独特の香。パッションフルーツも。やや焙煎臭。これがintenseに。マンデリンに近いフレーバーがフシギ。クレヨンとも。ボディ薄いか。しかし酸味がたくさんあってcomplexと。基本的にはパッションフルーツ。


酸の表現はどんぴしゃなものがなくて、たとえば上のノートでは

 ナチュラル
 クレヨン
 赤ワイン
 マンデリン

というのが、実はみんなが感じてる酸のひとつの核の部分を表現してるのです。それぞれの人がもつボキャブラリーで、ひとつの酸の特徴を挙げている。ホントのところでは、その「ひとつの核」も多面性の集合であるはずだから、それぞれがあげた表現はどこか当たってる。だからナチュラルと思っててもクレヨンと言われると、なんだかわかる気がするぞ、と。

のどごしでは感じることのできないコーヒーがひそかに持つ香味、酸の特徴。ポイントの高いものになればなるほど、表現がたくさんでてきます。カッピングは自分が持つ味覚を鍛える要素もあるので、コーヒーのチェックのみならず、味に関するさまざまな要素に活用できます。紅茶の香りやケーキの甘さの感じ方、出汁の深みを測るなどなど。

新しいコーヒーの楽しみ方、いや、「食」の楽しみ方です。

これも東京スコーンのコンセプト「伝統と革新の融合」なんですよ。

東京カッピング会、次回開催は未定ですが10日以内にやりたいです。1銘柄200円で実施。スペシャルティーコーヒーの持ち込み可能。参加者が「これためしたい!」となったらそれぞれに200円払います。すすり方練習したい人はうちの練習法でその日のうちにだいたいできるようになります。参加募集中
シャッターを開けてみたい
シャッターが下りてる店舗の事情、地元の人たちとの会話から「貸したいけど、貸せない」というのも結構あるのを感じました。

古いお店、こういう間取りが多いのですよ。


わかります?

こういった間取りは、店舗兼住居の典型例です。そして、シャッターがしまったほとんどのお店の主は、高齢で自分の商売をたたんだ人が多いです。自分用のお店としての利用しか考えていなかったので、人に貸す、となると水場や居間のプライバシーはどう保護されるのか、という対策がありません。壁を作ればいい、というだけではないですね。店舗部分をどんな人に貸すのか、とか、スペースを共有することに対する違和感などもある。いわば、物質的なものと精神的な仕切りの仕方に具体策がない。

ですから、単に不動産やさんを介して「賃貸物件」という看板を下げるだけではないものが、たくさんあるのだなあ、と感じます。シャッターを閉じてる多くのお店が、「賃貸」という看板を掲げない理由のひとつは、こういうこともあるぞ、と(他にもっとややこしいのがありますがそれは別の機会で)。

勝手に、僕なりに、この解決策はないのか、と考えてみました。
実際に地元の顔役とも一部話した内容でもあるのですが。

1.借りたい人が貸したい人とじっくり話す
あたりまえのことなのですが、不動産の「賃貸契約」から借りたい場所の話をするのではなくて、このシャッターが閉まった空き店舗でどんなことをやりたいのだ、という話を、オーナーと直に話をして、そのお店作りにみあう仕切りの仕方について具体的に話をすればいいのかな、と思いました。

まあ、かなり難しいでしょうね。最初は会ってもくれないでしょうし。不動産やさんに仲介依頼して、賃貸契約書を作ってもらうのが一番手っ取り早いのでしょうが、そもそも貸そうと思ってるかどうかもわからない人にそれをやると逆効果ってものです。こういう人たちと交わるには、それこそ腰をすえて、街の人たちとふれあい、覚えてもらい、地域ののひとたち(=顔役とか)の助けも借りて話をする環境を作らないといけない。

2.商店街の助成金制度を活用する
助成金とは、返済の必要が無いお金であるため、公益性が重視されます。一昔の公益性とは、商店街のような事業主の集団に対してあれこれと官が施す施策を通じて下りていたお金です。しかし今となってはさびれた商店街ほど、この助成金を多用するようになってしまい、自分でリスクをとって(融資などの借入をして)新しいチャレンジをしていこう、という牙を抜かれたふぬけ薬としてマイナス的な効果を出しているものが多く、実際に区の担当者もそういった状態に頭を痛めているというのが、ヒアリングをしていてわかったことでした。

人にチャンスを与える、というテーマにこれを当てはめると、僕はこう考えます。

この、間取りの改修に助成金を出すというのはどうでしょうかね?
事業計画書の提出を義務付けたカタチで、水周りの改修で最大50万円までの助成とか。リフォームの50万円って、かなりの額です。誰のためになったのかすらわからない(=調査もしない)くだらない打ち上げ花火のようなイベントに数百万もかけるならば、新規開業を考える人たちに50万円ずつ助成したら一体何軒のお店のシャッターを上げることが出来るのか、と思います。イベントひとつ打つよりも、数軒のお店が新規オープンしたほうが、よっぽど地域は活性化するのではないかと思います。ま、これにもグランドデザインは必須ですが。

また、金融機関マターで考えると、助成金を受けた事業主は、「官からお墨付きをもらった」というタグがつきます。公的機関と取引のある事業主の信用度が格段に高いということは、その後のチャレンジで融資を受けるときの支援材料にもなるのですよ。

まちづくり、まちづくりと言ってるだけではなくて、こうやって頭を使いましょう。
そして、動いて、実を結んでください。
口だけ「まちづくり」、もうたくさんです。

街づくりの苦い思い出と新しいまちのづくりカタチ

街づくりといっても学園祭ですが。しかし、人口3万人程度の小さい街。そんな環境で学園祭をやる、ということは、一定の集客が見込めるわけで、即まちづくりに直結してしまうところがありました。

学校設立3年目。僕は新入生として入学し、学校として初の学園祭をやろう、とう企画が生徒会で持ち上がりました。興味のある人にとりあえず集まってもらって、どうやろうか話し合う。っていっても、発起人がすでにプランを持っていて、誰がどこを手伝ってもらうか、という話の流れでしたが。

イベントの進行プランを聞きながら、「そもそもなぜ学園祭をやりたかったのか?」というようなことを、僕は聞いた記憶があります。「やろう、やろう」でしかなくて、発起人のわがままのようなところも見えたので。街の人も参加するイベントたりえるのか?という指摘も。しかし「1年生は、すっこんでろ」的な扱いを受けて僕の質問や指摘は無視。ま、先輩後輩の世界じゃ当然でしたが。で、僕はいちおう手伝いましたが、意見はせずに様子見してました。

街の人たちも参加してもらう、としたものの、宣伝もちゃんとせず、街の人にちゃんとあいさつもせず。結局内輪で盛り上がって騒音の苦情をたくさんいただいてイベントは終了。そもそも街の人たちからの来訪者は少なくて(ほとんどなかった)、反省会すらせずに、首謀者達は去っていきました。

自分勝手な馬鹿にふりまわされて、学校の評判も落とす。
害もいいところ。
お金と時間を無駄遣い?

そんな感想を当時持っていたのを覚えています。

そして、自分の考えを反映させていくには「自分が力持ちにならないといけないな」と決心したのも覚えています。

どんな力持ちを目指したのか?

学園祭は人海戦術です。人の束を持っているのはクラブやサークル。それをさらに束ねるのは生徒会。ですから、僕は生徒会で力を持とう、と思いました。生徒会長になったわけではないです。生徒会長になるのに、うちの部が首をタテに振らないとだめな状態(票が入らない)にしました(汗。

当時入っていたクラブで毎週イベントをやって(=飲み会)部員の結束力を高め、部員数増加策を徹底的にやりました。数は力。当時としては学内最大規模の部員数を持ったクラブにしました。運動系のクラブだったので、「対外試合」と称して社会人や隣町の大学の部に出向いて組織として街とのつながりをつくり、学園祭のときにはそういった人たちをスタッフとして呼んで共に運営をしました。

僕の卒業の年、人口3万人弱の街で、1000人以上を集めた学園祭を作ることが出来ました。いろんな人たちが笑顔で帰っていきました。その手ごたえはものすごく大きかったと今も思っています。これをきっかけに、学術的な交流が増えていければいいな、と思って後輩にいろいろと計画を作り、残してみましたが、しかしそれがピークだったみたいで、だんだんと学園祭は集客力を失っていき、最後は学校まで倒産してしまいました。

結局、自分のしたことも、馬鹿のひとりよがりの仲間入りで、打ち上げ花火でしかなかったのです。

イベントの成功を活かす。これも大事ですが、もっと大事なのはイベントの先に何があるのか、何がしたいのか、というグランドデザインでした。イベントはちょっとした刺激剤です。僕はその刺激だけを見ていて、イベントの下にある人々の毎日の普通の生活を見ることをしていなかったと思います。

普通の生活は、イベントによってどんな変化が生まれるのか?
その変化は参加者だけではなくその地域の「すべての」あるいは「多くの」人にとってよいことなのか?

そんな考えがまず大事で、そして必要なんですね。でないと、イベントにいくら夢中になってもそれが終わってしまったら何も残らないかもしれないのですよ。みんなに応援してもらえない。地元の人から他人事のようにイベントを扱われてしまったら、そのイベントは意味を成さないことになります。

僕の創業は、この考え方の延長上にあります。

まず、人が集まれる場を作る。
名店との連携がまず条件です。独りでやるのではなく、複数で協力してやっていくことで、そのロケットスタートが切れます。

最初に集まる人は、誰でもよいわけではありません。ある程度のネームバリューを持っている人たちにまず来てもらって、イベントや作品のクオリティーを一定のレベルにまで一気に上げてしまいます。そうすると、無責任なクオリティー・無責任なアイデアしか持たない人材はふるいわけしやすくなります。

テーマは衣食住。それぞれの分野で活躍する人が集まれる場、腕を振るう場を提供し、そういった人たちの手によるプロダクトやイベントを通じて、特定の文化を創業の地で新しく創っていきたいです。それを目当てに集まってくる人たちに定着してもらい、さらにたくさんのイベントや生活向上のための試みを、狭い地域でたくさんやってもらう。新しい人がそれを見て、目指してさらに集まる、というような流れを作りたいのです。目安は半径300m以内の地域で、月に1つイベントが開かれていること。これが延々と、継続して開かれていたらどうなります?って、誰でも想像しやすいですよね?

僕の考え方は、単に商店を増やせ、シャッターを開けろ、という街づくりではないです。楽しいことをやっていける環境を作る、やってみたいことをやらせてみる地域社会をつくることがまず大事で、僕はそういうお手伝いを、お店を通じてできるような試みをしてみたいのです。

ただ、お店を開くだけなら、他の人がやればよい。僕にしかできない創業を、目指していきたいですね。

まちづくりイベントの評価基準

また毒舌ですが。そのとおりだとおもうので。

今週、ひっそりと(?)、僕がお店を出させていただいている分館が所属する商店街でイベントがスタートしました。参加したほうがおトクなことだらけ、という触れ込みですが、参加者がそのときだけおトクになるしくみで、街にとっておトクかどうかがわからないため、参加は見合わせることにしました。

東京スコーンは、写真出しませんよ。

墨田区に越してきて目にするのが「まちづくり」というキーワードです。このキーワードは、地方に出ると「産業振興」「まちおこし」とかと共通するワードだと思います。要は「人が来てほしい」「お金を落としていってほしい」「わたしたちを豊かにしてほしい」という意味でもあるのですが、墨田区は異常なほどこのキーワードを目にします。そして、それらの具体的な試みのほとんどが、僕の脳裏に刻まれませんし、それらによって「まち」が「つくられた」印象も感じません。

どうしてだろう、と思ってちょっとフォーカスしてみると、その場しのぎだったり、ひとりよがりだったりするものが多い、と感じました。

まちづくりイベントとは、何?

さっき書いたように、「産業振興」や「豊かさよもう一度」というのが根底にありますよね。
ってことは、それ相応の効果があったのかというのを常に同じものさしで測り続けることが必要だと思いますが。その結果を見て必要なイベントや設備投資の方向性をしっかりさせるっていうのが真のまちづくりではないのか、と。ちいさなお店や工場の人たちの努力が無駄にならないようにするには、この追求が絶対でしょ、と思います。忙しい中時間を割いて参加したイベントに効果がなかったら、つまんないし。暇な人間かかえる大きな会社がやるのではないのです。ともすると、生涯をかけて、存続をかけてやるって人もいるでしょうから。

要は、まちづくりの評価基準をもったほうがいい、ということです。

「産業振興」や「豊かさよもう一度」の共通測定とは何かといったら、

税収増加
人口増加

の2点になる、と思います。もうひとつ、フォーカスすると、イベントにかかわった地域の会社や商店、工場の売上高が、前年同期比でどのくらいアップし、それが継続しているか、ということです。

これ以外でも、「Awareness(アウェアネス)効果」といって、「知ってもらう」「認識してもらう」という効果を狙ったイベントの参加法もあります。「ブランド」を世の中に浸透させる作戦はこの方法論に基づくものですが、これはまたの機会に。

まちづくりイベントでよく言われるのが「何人動員しました!」というその場の効果を猛烈にアピールすることですが、それはまあいいとして(っていうかどうでもいい)、

そのイベントを実施したことで、

税収増加は見込めましたか?

人口増加は見込めましたか?

収益増加は見込めましたか?

というのをちゃんと数値で発表しろ、と思います。

また、イベントをやる前に、以上の3点について、どのくらいのアップを見込むか、ということに対して、具体的な数値目標を挙げなさい、と思います。

もちろん、税収や人口統計なんてものは、年に1度しか発表されませんから(墨田区は毎月発表してますが。役所の人ならいくらでも中間集計ぱぱっと取れるでしょうけど)、いくらでも逃げ口上は作れるでしょう。しかし、収益効果は毎日、毎月集計してますから、すぐにわかる項目です。すぐに知りたいなら、項目としてその地域の交通量が増えたかとかも加えていいかも、と思います。

いずれにしても
「もりあげよう!」という、何をもってその結果とするのかということがはっきりとわからんものには無駄なお金と労力を使わないでよ、と思うのです。
しっかりとした効果測定を共に認識しあう。これはまちづくりの重要なポイントであると思います。

まちづくりの思いを無駄にしないためにも、ね。